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財政/金融政策/税制 ・住宅政策 ・雇用/労働(我慢することは美徳ではない) ・自動車税制の改善 ・ヘイト規制 ・教育/文化
憲法問題(第9条) ・自衛隊/防衛 ・対米自立(在日米軍等) ・外交/歴史観 ・核燃料サイクルの放棄(原子力政策)


<私が共同代表になった際には、現在のれいわ新選組における公約に加え、以下を党の公約として掲げることを検討します>

<国全体の経済および経済成長―具体的数値を記載>
〇総論―西暦2030年までに、恒常的に実質GDP成長率3.0%以上を達成するとともに、1997年を100とした実質賃金指数が「120」を上回ることを目標とします。
・現在おおむね「0.37」まで上昇したジニ係数を、西暦2030年までに1980年代相当の「0.31」未満まで引き下げ、猛烈な格差を是正します。

*Q.積極財政はいつまで続けるのですか?A.→上記の数値目標が確実に到達された時を、「日本経済の持続的成長が確認された」と判定します。積極財政は、この判定がなされるまで躊躇(ちゅうちょ)なく継続します。

<財政>
・積極的な財政出動を行い、一般会計の規模は弾力的に編成します。<現行公約と趣旨は同じ>
・国の税収の不足部分は、増税に頼ることなく、一義的には国債をその原資とし、最終的には経済好転に伴う税収増によって補填します。日本経済の持続的成長が確認されるまでは、躊躇(ちゅうちょ)の無い積極的な財政出動を行います。
・プライマリーバランス(PB)の黒字化は、日本経済の持続的成長が確認されるまでは留保します―日本経済の持続的成長が確認されるまでの時点以降にあって初めて、PB黒字化の「検討」に入るべきです。
*「日本経済の持続的成長が確認されるまで」とは、前記の項目が十分に達成された時点を指します。

<金融>
・金融緩和は当面継続する一方、為替状況などを考慮し、「日本経済の持続的成長が確認される(た)」以降の将来にあってはゼロ金利政策を見直すことも含めて検討しますが、現状のゼロ金利を見直すと、民間金融や住宅ローンに対しいちじるしい悪影響を与えるため、なお慎重な研究を要します 。
・円は、対ドルで安定的に120円台程度であることが望ましいとし、過剰な対ドル円安については日本銀行を通じて為替介入を適宜行っていくことについて否定しません。
・いわゆる「イールド・カーブ・コントロール」については現状水準を継続します。<現行公約と趣旨は同じ>
・日本政策金融公庫等を通じた公的融資について、事業継続、起業、設備投資等の貸付上限および貸出量を大きく拡充し、経済の「血流」促進を図ります。

<税制>
・消費税は廃止されるべきですが、まずは段階的な引き下げを行い、軽減税率に「衣料品」を加えます。
・相続税免除額の大幅な引き下げを行います―現在免税点(控除額)の基準は原則3600万円(法定相続人が1人の場合)ですが、これを約5分の1の700万円程度に引き下げます。これにより大土地所有者、富裕層からの大幅な納税が見込まれ、財源として有効活用します。
・宗教法人への免税/優遇措置を例外なく撤廃します。―財源として活用します 。
・インバウンド復活を後押しするために、空港離発着料、空港使用税を現行の概ね半分以下に切り下げます。

<住宅政策>
〇総論―住空間の改善は<生活の充実><少子化>などあらゆる社会問題の特効薬です。年収の3倍,手取り給与の1/5未満で良質な賃貸住宅を。

・公営住宅、自治体借り上げ住宅の質・量を拡充し、とりわけ賃貸住宅環境の向上を目指します。
―西暦2030年までに、誘導住居水準以上に到達する世帯割合を85%以上に拡充します。…住環境の改善は豊かな生活を実感させる大きな要素であり、あらゆる住環境の改善について弾力的な施策を恒常的に行います。
・前述公共住宅の入居審査について、非高齢の独身者に対する所得や入居基準を緩和します。
・前述の誘導住居水準に関連して、特に賃貸住宅の質の拡充を急務とし、3人家族で3LDK、床面積75平米以上の物件を誘導住居水準とは別に「標準住宅」と定め、これを月収の5分の1(20万円なら約4万円)未満で廉価に住めるファミリー向け物件の拡充を急ぎます。
・住宅取得に際しては、一般的な勤労者の年収に対して3倍程度で取得する環境整備を目指し、とりわけ中古物件の流通を促進させる法整備を行います。
・空き家等については、自治体が所有者と交渉して借り上げ、廉価で「借り上げ公共住宅」として拡充します。
・バリアフリー住宅の整備についての助成、補助金を拡充させ、併せて公的な「リフォーム向け融資」をさらに拡充させます。
・URの経営方針を改良し、賃料の大幅な引き下げ、入居基準の緩和を行います。

<雇用/労働(我慢することは美徳ではない)>
〇総論―日本人の賃金が上がらないのは、労働者が我慢するからです。―我慢することは美徳ではない。

・日本人の賃金が上がらないのはなぜでしょうか?素直に回答すれば、日本市場に成長余地がない(どころか縮小)とみなされており、であるからして民間企業がさまざまな投資を行わない結果、投資がない以上成長できませんので、ひいては成長しない市場の労働者に賃上げをする意味は無いので、賃金上昇の努力を放棄(ほうき)しているからです。
―しかし理由はそればかりではありません。それ以外の大きな理由の一つは、日本の労働者の多くが、経営者に対してあまりにも従順であり、低賃金や劣悪な労働環境を我慢することが美徳であると思っている風潮に、経営者が胡坐(あぐら)をかいているからです。

 日本の労働者はストライキを滅多に起こさず、与えられた労働がいかに苛酷(かこく)であっても、職務に従順であることが美徳とされています。「我慢することが日本人の美徳」「たとえ賃金が上がらなくとも、やりがいがあれば良い」などという間違った労働価値観がはびこっています。労働の対価は給与のみによって表現されるものであり「感謝」とか「やりがい」とかは1円にもなりませんので何の意味もありません(そもそも日本人は、近世期であっても「郡上一揆」等のように、間違った為政者の行いに対して実力を行使してきたのであり、我慢を美徳とする精神性を持っていたわけではありません)。

「お客様の笑顔のために」というスローガンが金科玉条(きんかぎょくじょう)のごとく持ち上げられ、まるで「労働は社会貢献である」かのごとき間違った労働価値観が広がりました。「お客様が笑顔になってくれるか否か」は本来、労働者が気にすることではなく、経営者が関与するべきことであり、労働者には関係がありません。このような異常で不気味な価値観が広がったのは、経営者側にとっては賃上げをしない格好の理屈になるからです。経営者にとって、労働者が自己の労働を「社会貢献」であると考えてくれれば、これほど都合の良いことはありません。

 労働の対価は笑顔ではありません。労働の対価は現金です。給料です。労働者は対価に見合った給料を受け取る権利があり、適正な給料を払うのは経営者の義務です。日本の労働者にあっては、適切な法知識が不足しており、主権者教育が不十分であり、契約の概念が希薄(きはく)であるがゆえに、そういったスローガンや間違った価値観に無批判に追従してしまうのです。我慢することは美徳ではありません。我慢することは搾取を肯定することになります。

 マスメディアの取り上げ方も疑問です。「過酷な環境の中で、現場は頑張っている」というような物語ばかりがもてはやされています。過酷な環境であっても、給料が充実していればまだわかりますが、実際にはそうなっていません。歪んだ構造自体に対しては批判の矛先を一切向けず、個人の努力とか忍耐のみにフォーカスして、そればかりを物語化しています。これは間接的な労働者への搾取の追認ではないでしょうか。

「ブラック企業」という表現が自嘲(じちょう)として使用され、社会の中で「必要悪」のように存在することが肯定されています。ブラック企業は本来「違法企業、不良企業」であり、その存在自体が許されないものです。

 加えて、不当に給料が低い構造自体は批判せず、「限られた給料の中でいかに節約をするか」という特集ばかりがブームとして宣伝されます。給料が増えている中でもなお、選択的に節約しようとするのならわかりますが、給料が据え置かれたり減っている中、節約しなければならない現状は、端的に言って労働環境に問題があるのであり、労働者の能力のせいではありません。にもかかわらず、「いかに節約をするか」という特集にメディアは汲々としています。「年収200万円でいかに幸せに暮らすか」という趣旨の企画等が大ヒットしたのがその証拠です。重要なのは200万円とか300万円でいかに暮らすか、ではなく、「なぜ200万円しか払われていないのか」という批判的精神のはずです。しかしこういった目線は弱く、労働者の多くは窮乏(きゅうぼう)する現状を追認し、「我慢するという、まったく意味のない美徳」を見出しています。

 このような精神を抜本的に改良することが求められます。経営者に自己批判を求めることも重要ですが、労働者に契約の概念と労使関係に対する批判的な価値観を育むことが急務です。

<雇用/労働―各論>
・いわゆる「派遣法」を大きく改正し、派遣社員等への劣悪な就労環境について抜本的な見直しを行います。―具体的には、労働者派遣業者は、「紹介料以外のあらゆる報酬」を派遣先から受け取ることを禁止します。…いわゆる「ピンハネ」「マージン」を禁止します。
・いわゆる「ブラック企業」という言葉の使用慣行を改め、「違法企業」「不良企業」としてただちに厳しく取り締まります。
―民間企業における労働基準違反事例について、更に強く指導・監督し、是正します。
・個人事業者、フリーランスに対する企業による不当なダンピングや優先的地位の濫用等について、これを厳しく取り締まる労働法を整備します。
・正規、非正規雇用の別なく、労働者が受け取るべき権利について―有給休暇など―の付与義務に違反した事業者への罰則を引き上げます。
・官、民企業における障がい者雇用の法定比率を大きく引き上げます―現状について、民間企業の法定雇用率は2.3%ですが、これをおおむね3.5%ないし4.0%に引き上げます。
・労働係争に係る民事訴訟、調停等についての原告費用負担を大きく引き下げる特別措置を講じます。
・無料で行われる労務相談窓口の更なる拡充を公費で行います。

<自動車税制の改善>
〇総論―車は社会の血流を担い、地方にとっての足です。にもかかわらず、日本の自動車税制は懲罰的という水準であり、異常です。

・車検制度は現行の「新車3年、継続2年」を「新車7年、継続5年」に緩和して税負担を軽減します。
・自動車税(自家用)、自動車重量税はこれを大きく軽減します。
―具体的には以下の通りです。
…自動車税(自家用)、軽自動車―7,200円に、2リットル以下―一律50%引き下げ、2リットル超―一律30%引き下げ。
…自動車重量税―13年超過、18年超過の加重を廃止。
・走行税導入については絶対に反対します。―社会の血管であり、移動の根幹である車に関わる税負担を大きく軽減します。

<ヘイト規制>
〇総論…ヘイトスピーチは、もはや看過できない社会問題としてヘイトクライムを引き起こすに至り、このような現状を放置していたのでは、日本の国際的信用にも関りかねません。―『日本版ネットワーク執行法』を立法・整備します。

・ドイツの「ネットワーク執行法」をモデルとして、日本国内で200万人以上のユーザーを有するネット・プラットフォームサービスについて、ヘイト・コンテンツについての半年に1回のレポート提出等を義務付けます。
・いわゆる「ヘイトスピーチ」に刑事罰(上限として懲役3年程度)を設ける新法を制定します。
・いわゆる「ヘイトスピーチ」の定義に、「本邦外出身者」だけでなく、国内の特定地域、自治体に対する憎悪表現(例、沖縄への蔑視、アイヌを出自とする日本国民への蔑視)を加えます。
・法務省における反ヘイトスピーチ啓発の取り組みについて、さらに拡充させます。

教育>
・国立大学法人の授業料を原則全額無償化します。
・国立大学法人をとりわけ地方に多数新造します。―高等教育の拠点が東京に集中していることにより、大都市と地方の格差が生まれています。
・放送大学等に類似する通信制大学を国立大学法人として全国に新造し、社会人教育をさらに進めます。
・公立学校の夜間学科を新設、拡充し、社会人の高等教育等への門戸をさらに拡大します。
・中学校、高等学校について、登校に依らない通信、オンラインでの単位履修を広く認めます。
・合理的な知見に基づいた適正な性教育を広く教育現場で普及させます。
・必修となった「歴史総合」に加え、高等教育までに「現代史(日中戦争が勃発した1937年~以降)」を創設し必修科目とします。
・歴史教育を徹底し、先の戦争の研究を踏まえて、戦後85年である西暦2030年をめどに、政府として「太平洋戦争の反省」についての公式見解を発表します。

<文化>
・「クールジャパン機構」を即時に解体し清算します。
→参考拙稿「海外で見た酷すぎるクールジャパンの実態~マレーシア編~」を参照してください。
・(税)の部分に関係するところですが、劇場入場料、映画館入場料などは軽減税率の対象とすることを検討します。
・フランスのCNCを見習い、強力な文化振興策を講じます。―日本版CNCの創設を検討します。
・文化事業に従事する小規模、零細のクリエイターなどに対し、あらゆる分野での助成を実施します。
・知財コンテンツを保護し、著作権侵害については刑事での更なる厳罰化を求めます。
・著作権侵害についての民事的な被害に対し、公的な救済機関を設置します 。

<憲法改正についての考察>
〇遠い将来であっても「現行憲法の条文を一切変更しない」とするものではありませんが、現状にあっては改憲についての国民的議論は相当に高まっていない、と評価します。憲法改正問題は、なにも第9条だけの問題ではありませんが、やはり大きな争点となるのは第9条の改正であり、この問題については以下の考察を行い、広く議論の対象とし、共有することとします。

1)「憲法」についての基礎認識の認識
―近代国家における「憲法」は、国家権力を拘束(こうそく)するものであり、国民にことさら義務を強制するものではありません。国家権力は、その使い方を間違えるととんでもない間違いを犯しかねません。その最大のものが「戦争」であり、この考え方から日本国憲法第9条では、「国権の発動たる戦争」を放棄しています。

2)現行憲法は自衛権を認めているという解釈と、そうではないという解釈が混在しています。
―日本国憲法第9条は、「国権の発動たる戦争」を放棄していますが、これは当然、第二次大戦の失敗(敗戦)と反省から生まれたものです。一方で憲法第9条は、戦争の放棄にあたって、「国際紛争を解決する手段として」という留保事項とも思える文言を挿入しています。これを素直に読めば、「戦争」を「侵略戦争」と「防衛戦争」に区別し、前者の「侵略戦争」についてのみ放棄したと読めないことはありません。しかしながら、世界史を振り返ると、多くの「侵略戦争」は「自衛のためである」といって始まるので、そもそも「侵略戦争」と「防衛戦争」を厳密にどのように区別するのかもあいまいです。

 ことほど左様に、第9条の改正と言っても、現行憲法はまず「侵略戦争」と「防衛戦争」をどのように区別し、そのどちらを放棄しているのか、そもそも区別しないですべての戦争を禁止しているのか―自衛権否認―という共通認識自体が錯綜(さくそう)しているため、第9条の改正以前に、このような解釈の普遍(ふへん)的共有がなされるのが先と考えます。いたずらに改憲議論を先行するよりも、現行憲法についての認識の共有を広く進めるべきです。

3)2)における「自衛権容認」が正であれば、ことさら「改憲をしない」ことによって不都合が起こるとは考えにくいと思われます。
―とうぜん、政府は日本国憲法第9条は自衛権を認めていると解釈しています。これを国民普遍の共通認識としても追認するのであれば、日本が他国を侵略する戦争を起こす理由も正当性もありませんので、現行の第9条の範囲内で適正な自衛力を持つことが正当化されるわけで、そうであるならば第9条の改正はことさら必要ありません。また、現行の憲憲法第9条を維持していると言っても、いわゆる「有事」にあっての下位法は、いまだ不十分であると判定します。 憲法よりも実際の「下位法」を整備した方が良いのではありませんか。

4)憲法第9条を改正したからと言って、防衛力がすぐさま高まるわけではありません。
―日本国憲法第9条の改正を支持する人々は、憲法第9条を改正しさえすれば、日本国家の主権や国民の生命・財産を守ることができる(防衛力増強)と主張していますが、一般的に「防衛力」とは、想定される自衛戦争についての「相手国」の戦略、戦術、作戦によって対応するべき実力構成が千差万別であり、また日本が島国であり、仮に外国から侵略をうけるとしても、「強襲揚陸(きょうしゅうようりく)作戦=前衛(ぜんえい)部隊を沿岸に上陸させ、その地を一定期間支配すること」が想定されるわけですが、これに対応する防衛力は憲法解釈とは別個に、戦術的側面(部隊配置、防空能力、制海能力等)で決定されるので、本質的には憲法第9条の改正と防衛力の増強は、ただちに相関しないのです。想定される外国からの侵略については、現行憲法のままであっても、高度に戦術的な対応でカバーできると思われ、これこそ防衛に関する専門家や有識者の議論の進展をさらに加速させ、その結果を適正に政治が判断するべきと考えます。それ以前に、相手国に日本への侵略を思いとどまらせる十分な外交努力が、すべての前提となっているのは言うまでもありません。

5)日本国憲法は「押し付け」ではありません。
―日本国憲法第9条の改正を支持する人々は、 憲法第9条の改正理由として大きなものとして「押し付け憲法(論)」を展開しています。押し付け憲法論とは、日本国憲法が日本の敗戦によって、連合国(GHQ)の間接支配下にあった中で、なかば日本国民の民意を無視する形で、「押し付け」のように制定されたとする理屈ですが、これは正確ではありません。確かに、占領期(1945年~1952年)にあって、日本国の最終的な意思決定は、GHQが握っていたのは事実ですから、日本国憲法の成立過程にあって、GHQからの強い政治的圧力があったことは否定できません。

 しかしながら、とりわけ憲法第9条については、日本が「国権の発動たる戦争」を行った結果、軍民で310万人以上の犠牲者を出した反省と経験から生まれたものであり、戦争の痛ましい苦痛をこうむった日本国民の意思を無視したものではなく、むしろ日本国憲法の公布、施行にあっては、憲法第9条については多くの国民が歓迎するところでした(当時の保守的な国民が問題視したのは、家父長制度を否定しかねない自由な婚姻制度の規定です)。よって、日本国憲法とくに第9条の成立過程については相応の瑕疵(かし)があったとしても、「押し付け」とは程遠いのが実態であり、事実、現在に至るまで日本国憲法は70年以上にわたって運用されてきたのですから、「押し付け憲法論」に組(くみ)しない、広く横断的な議論が必要と考えます。

・憲法第9条以外における問題への考察

<緊急事態条項等の挿入>…一時的であれ、国家権力に強力な権限を付与させることは、そもそも「憲法」の性質からいって危険であり、反対します。現行法の改正で対応できると考えます。
<環境権の挿入>…十分に考えるべき課題として共有します。
<参議院合区の解消>…現行憲法のままで、とくに現行法の改正で対応できると考えます。この一点のみを目指した憲法改正は、改憲議論にあっては過大目標であり、なじまないと感じます。

<自衛隊/防衛政策>
・防衛予算はGDP比2%という数値の達成をことさらの目標とすることなく、真に必要、合理的と認められる装備品の調達や更新を行います。
―GDP比2%は結果論であり、真に必要、合理的と認められる装備品の調達や更新を行った結果2%相当に到達するのであればまだしも、最初から2%という目標を先行させることの意味はありません。また「真に必要、合理的と認められる装備品」が具体的に何を指すのかの共有も曖昧(あいまい)であり、基本的な議論がなお欠けている状況です。
・防衛予算の総額をいたずらに増大させるよりも、各装備品の調達価格の値下げ等を模索します。
・自衛隊は、自然災害等で大きな活躍が期待できる実力組織であることを認め、とりわけ平和的分野で自衛隊を活用していきます。
・自衛隊の適正な規模は、周辺国の防衛力等の状況等に照らし合わせて弾力的に決定します。
・仮に国連決議があっても、PKOへの参加の是非は日本が主体的に決定します。―国連決議が存在しても、それに従うか否かはとうぜん日本の意志によるべきです
・自衛隊員やその家族の福利厚生環境を向上させるための費用増額は支持します。
・原子力潜水艦の導入は、日本近海での専守防衛を踏まえて必要が無いので検討しません。
・いわゆる「敵基地攻撃能力」「反撃能力」の保有について、戦術的意味が希薄なのでことさら検討しません。―現代戦においては、「防衛のための先制攻撃」を行う戦術的意義が少ないばかりか、コスト的・技術的にも現在の日本にとって難題であり、保有する意味は少ないのが実態です。
・いわゆる「ニュークリア・シェアリング」は戦略的意味が無いのでまったく検討しません。―「ニュークリア・シェアリング」は欧州で導入されていますが、アメリカの同意が前提であり実現できるかどうかが不透明です。

<対米自立(在日米軍等)>
<現状の認識>
・日本は、書類上は主権を有した独立国でありながら、外交・安全保障を含め、あらゆる意味で対米追従(ついしょう)姿勢を強くしており、事実上、アメリカの従属国です。
・興味深いことに、アメリカ側からの対日認識はそれほど強くないにも関わらず、日本や日本人の側こそが、「積極的にアメリカの庇護(ひご)を求めている」という事実があります。「保守」などと自称する政治家や言論人は、このような姿勢を「リアリズム(現実主義)」などといって正当化しますが、世界史的には異常な状況です。このような隷従(れいじゅう)の姿勢は、端的に「奴隷でいる理屈の正当化」であり、独立国の基準を満たしていません。
・世界で初めて、アメリカ軍に原子爆弾を二発も投下され、それに前後して空襲で無辜(むこ)の非戦闘員―女性や子供らが無残に焼き殺されたにもかかわらず、「アメリカにつていくことが正義」とするあらゆる言説は、基本的には異常であり、と同時に戦後最大の矛盾であり、打倒されるべき歪んだ価値観です。
・とはいえ、戦後日本が国際社会に復帰するにあたって、アメリカとの協力は不可欠ではありましたが、1952年のサンフランシスコ条約での主権回復以後は、日本は独立国として、あくまでアメリカと対等な立場ですので、日米同盟を重視しつつも、アメリカの国策について、日本が「間違いである」と判定した事項については厳重に反対し、道義的にも国益の観点からも、日本に資(し)する、と判定するアメリカの行動については賛成するなど、柔軟な対米姿勢が求められるところです。

→詳細は拙著『草食系のための対米自立論』を参照してください。

(在日米軍等)
・「SACO合意」で約束された米軍普天間基地の即時、かつ無条件返還をアメリカ政府に要求します
・横田基地(飛行場)の軍民共用使用の開始をアメリカ政府に要求します。
・横田管制空域は、合理的に必要と認める範囲以外はすべて日本側に返還されるようアメリカ政府に要求します。
・「思いやり予算」は廃止するか大きく削減します。
・三沢、横須賀、横田、岩国、沖縄の各在日米軍基地は段階的に縮小し、グアム島や本土移転を進めるようアメリカに要求します。
・日米地位協定は欧州と同等に改定します。―米兵・米軍属による治外法権状態は、これを「一切」認めません 。
・前項の目的がまったく達成できない場合は、日米安保条約の条文に基づき、その更新をしない選択肢があることを公的に表明することを検討します。
・米軍基地返還後の土地高度利用については、フィリピン共和国を先例として十分に研究します―「フィリピンにおける米軍基地返還後の高度利用(クラークフィールド、スービック)研究委員会」(仮称)を設置し、特に沖縄県の将来を展望します。

→詳細は拙著『アメリカに喧嘩を売る国―ロドリゴ・ドゥテルテの政治手腕』を参照してください。

<外交・歴史観>
・すべての外交方針は、共通ないし近しい歴史観を有するところから出発すると考えます。以下の歴史観は、あくまで私の理想とするものであり、各議員や党員等に必ずしも強制するものではありませんが、このような歴史認識の共有がなされないままでは、十分な国家観についての理念がないままであらゆる政策が野放図(のほうず)に進むことになりかねず、それに基づく外交方針を決定できないと思います。よってまず、各論の外交政策の前に、共有することが望ましい歴史認識を示します。

〇とりわけ日本近代史における歴史認識の共有は、党の方針・思想として根幹をなすものであり、この前提の共有と確認は重要です―歴史認識の共有は、外交のみならず、個別の政策にも様々な影響を与えるものであり、最も重要な理念のファクター(要素)のひとつであるべきと考えます。

 大体、問題発言をする議員や政治家、異様な差別的言説を行う人々の多くは、とりわけ日本近代史における歴史認識の土台がおかしい場合が極めて多いのです。日本は、先の大戦に敗れて実に日本軍民だけで310万人以上の犠牲者を出し、中国では約300万人以上、東南アジアでは数十万人以上の犠牲者を強いました。このような未曽有(みぞう)の大戦争についての適当な反省や総括を無しに、なぜ現代の政治家が、国や、社会や、外交などを語ることができるのでしょうか?「英霊が」などと言う人はとくに、この歴史的事実を真摯に考えなければなりません。これだけの人々を殺し、犠牲にした戦争への反省が無ければ、政治家としての資質は疑わざるを得ません。歴史認識こそ、政治家にあって、その資質の根幹にあるものではありませんか?

―今後、れいわ新選組が公認・推薦する国・地方議員候補者は、このような歴史観への賛否について確認することが重要と考えます。―決して強制しませんが、私が代表になった際には、こういった歴史観に「大きく賛同」とする候補は、根本的な理念の共有が特になされていると判定し、より積極的に支援していきます。

<日本近代史についての歴史認識>
1)西暦1868年に成立した明治国家は、拡張的傾向のもと、朝鮮と台湾を植民地にし、あるいはこの国に生きる先住民族であるアイヌ、または琉球の人々を暴力または威嚇によって従属させ、平和に励(はげ)ましあって暮らしてしていた彼らの生活を、一方的に蹂躙(じゅうりん)して収奪の対象としました。これは日本帝国の身勝手な都合であり、間違った国策であり、その意味では日本は「帝国主義国家」であり、立派な加害者です。日本の利益のために朝鮮と台湾を植民地にした事実、アイヌや琉球の人々の権利を蹂躙(じゅうりん)してきた歴史的事実を、私たちは真摯に反省し、戦後にあって二国間の国交回復や先住民族の権利擁護の動き等があったとしても、その根幹には明治国家の拡張政策、帝国主義的策動(さくどう)への反省が無ければなりません。

参考→拙稿「アイヌ新法の何が画期的なのか?~「アイヌ否定」歴史修正主義の終えん。平成の最後にアイヌ復権への第一歩」

2)1931年の「満州事変」は日本軍部(特に石原莞爾=いしわらかんじ)ら、間違った超国家主義者が引き起こした謀略的策動であり、これをときの政府が追認した結果です。いわゆる「満州国」建国は日本の間違った国策の結果で、私たちはこれについて深く反省の姿勢を中国に対し示さなければなりません。―これは日中外交の基礎です。

3)1937年の盧溝橋事件を契機に勃発(ぼっぱつ)した日中戦争は、日本軍部・日本政府による一方的な謀略と侵略戦争であり、中国の人々に言い尽くせない破壊と苦しみを与えた事実を痛切に認識し、戦争被害に遭われた中国の人々に対して常に反省の精神を持たなければ、真の日中友好はありません。

4)1941年12月8日に実行された日本軍部による真珠湾攻撃は、その前提としての日米交渉の困難を差し引いても、無辜(むこ)のアメリカ・ハワイ州の住民をことごとく殺傷する結果となったのであり、十分な反省が必要です。―当時の政府が喧伝した「大東亜共栄圏」「八紘一宇」は、結果として資源地帯のインドネシア等を独立させなかったことから、すべて身勝手な理屈であり、間違いであると確認しなければなりません。―「大東亜共栄圏」「八紘一宇」を賛美・容認する言説は、党としてこれを容認しません。

5)確かに太平洋戦争は日本の間違った国策の結果ですが、アメリカによる広島・長崎の原爆投下は、国際法違反であるばかりか、重大な戦争犯罪であり、これについては私たちは一方的な被害者であり、アメリカ政府について道義的な責任を求める資格が十分にあります。―アメリカは、サンフランシスコ条約で戦争賠償を放棄したとはいえ、二発の原爆投下について、真摯(しんし)に贖罪(しょくざい)するべきであり、その解消方法は「アメリカの核兵器放棄」以外に無いので、日本としては躊躇(ちゅうちょ)なくアメリカ政府に、「加害者」としての道義的責任を訴え、核兵器廃絶を要請する資格があると考えます。

6)1-5)を踏まえて、靖国参拝への公的参拝には反対します。靖国神社に祭られる人々の多くは戦争責任の責めを帰すべきでない将兵であることは論を待ちませんが、実際には日本を間違った侵略戦争に導いた東條英機を筆頭とするA級戦犯7名が合祀されており、よって同神社への公的参拝は日本の間違った国策を肯定し、無辜(むこ)の日本人の犠牲に何の反省もない姿勢を顕名(けんめい=自ら名乗り出ること)することと同等です。この事実を踏まえたうえで、党として靖国神社公式参拝は一切容認できません。仮に靖国神社を公的に参拝しようとする国・地方議員は、その真意について厳重に糺(ただ)します。

参考→拙稿「太平洋戦争はアジア解放のための戦いだった」説は本当か?
→拙稿「原爆投下によって日本は降伏した」説は本当か?
*私の体系的歴史観については拙著『敗軍の名将―インパール・沖縄・特攻』を是非参照してください。

<周辺国・地域及び世界各国との外交方針(妙)>
<ASEAN/インド/太平洋>
・ASEAN諸国は、日本にとって「最も重要な地域」であるという認識を共有します。
・「福田ドクトリン」を改良し、大人口国であるインドネシア、フィリピン、ベトナム、タイ等を中心としたASEAN諸国との更なる連携強化を行います。
・近い将来世界一の人口国になるインドとの関係強化をさらに進展させていきます。
・太平洋島しょ国との関係をさらに深化させ、「太平洋・島サミット(PALM)」の開催は現行の3年から毎年に変更します。

<韓国>
・韓国は日本の最も重要な隣国であり、古代より歴史的にも深い関係を有する「特段に重要な友好国」であるとの認識をさらに強化し、日韓連携を深化させます。
・従軍慰安婦問題を含む歴史認識の諸問題については、日本が植民地支配を行ったという深い反省の立場に立脚しつつ、相互研究を行っていきます。
・韓国政府や国民に対して、過去の植民地支配について、日本の一部の政治家や言論人が肯定している事実を率直に反省したうえで、とりわけ「1910年~1945年の間」における朝鮮(韓)半島の植民地支配は、完全に間違った国策であり、日本が道義的に向き合うべき歴史的事実であることを積極的に発信していきます。
・日本と領有権問題が生じている竹島については、韓国の国家元首級が同島に上陸しないよう、外交的なチャンネルを駆使して求めていきます。

<台湾>
・台湾については現状の交流を維持し、発展させます。
・日本と同じ地震国である台湾に対して、防災、減災方面での協力をさらに強化します。

<中国>
・中国は重要な隣国であり更なる関係強化を目指します。―日中国交回復の原点に戻り、日本が行った15年戦争における過去の侵略については改めて深く反省する立場を鮮明にします。
・中国における、とりわけウイグル、チベット、香港等についての人権状況等については人道上の観点から、看過(かんか)できないものであり、厳しい批判的考察を加えます。
・尖閣諸島周辺の日本領海、接続水域等に対する中国公船の不法侵入等については更に監視していきます。

<北朝鮮>
・北朝鮮については、日本人拉致問題の早期解決を外交的に模索し、核や弾道ミサイルによる威嚇については重大な批判を加えます。
・前述の状況次第では、北朝鮮との平和条約締結(不可侵条約含む)の検討を再度行います。その際には、日本が行った植民地支配に対する適当な賠償を行います。

<ロシア>
・2022年2月24日から開始されたウクライナ侵攻を非難するとともに、ウクライナ侵攻を直ちに停止することを求めます。
・ロシアがウクライナ侵攻への真摯(しんし)な反省と、ウクライナに対しての戦争賠償を十分に履行することを前提として、ロシアが再び国際社会に復帰したいと願えば、非NATO国の日本は十分にその仲介を担うことができます。
・北方領土問題におけるロシアに対しては、1956年の日ソ共同宣言の誠実な履行を求ます。―日本としてはサンフランシスコ条約で国後・択捉を放棄した全千島に入る(戦前までこの二島は南千島と認識されていました)と認め、歯舞・色丹の引き渡し(主権譲渡)を求めていきます。国後・択捉両島にはもともと、近世からアイヌの人々(千島アイヌ)が先住しており、明治以降は日本が支配権を強めたとはいえ、日本固有の領土ではありますが、さりとてこの点にだけ固執していても北方領土は一島も返還されないのであり、最終的には二島返還で解決し、並行して平和条約締結交渉を行いつつ、知床と国後島の中間線で日ロ国境線を画定させます。
・南樺太(南サハリン)、択捉以北の全千島については、サンフランシスコ条約で放棄した領土であり、「帰属未定地」という公的な認識を改めます。
<アメリカ>
・アメリカについては、重要な同盟国ですが、カナダのようにアメリカの間違った政策や海外派兵についてはこれを批判し、日本独自の判断でアメリカからの協力要請等を拒否すします。アメリカを「友人」と表現するのであれば、「友人」の決定的な間違いを諫(いさ)めることが真の友人の役割です。

<EU>
・EUについては現状の交流を維持し、発展させます。EUの問題、特に加盟国の東方拡大等についての諸懸案(けんあん)についてはEUが判断すべき事項であり、日本は一切意見を持ちません。

<原子力政策>
・戦後日本の国策とされた核燃料サイクルは完全に失敗しており、巨額の税金を投入してもなんら進展せず、一刻も早い核燃料サイクルの放棄を求めます。

<核燃料サイクルとは?>
国が進めてきた核燃料サイクルは、資源が少ない日本が、原料の輸入に頼らないエネルギー=つまり原子力発電を自前で循環するシステムのことを言います。そのシステムは次の通りです。まず「高速増殖炉もんじゅ」で、投入したプルトニウムよりも多い量のプルトニウムを生み出します。生み出されたプルトニウムは、六ケ所村の再処理工場で「処理」され、「MOX(もっくす)燃料」とされる特殊な燃料に加工されます。このMOX燃料等を用いて「もんじゅ」でさらに発電します。そうすると、日本は原子力エネルギーの完全自給ができます…という建前ですが、実際は完全に破綻しています。
・核燃料サイクルの中核をなすもんじゅは、数々の事故を引き起こしたのち、2016年に廃炉が決定されました。もんじゅが廃炉となった以上、核燃料サイクルを継続する意義はありませんが、国はなおも核燃料サイクルにこだわり続けています。

 さらに、使用済み核燃料を「MOX燃料」に加工するための青森県六ケ所村の再処理工場は、本来ですと1997年に完成する予定のはずが、未だに完成していません。再処理工場が稼働できないので、使用済み核燃料はたまる一方で、貯蔵場所に余裕がありません。このような異常な状況にもかかわらず、「原子力発電所の再稼働や新設」の議論が出てくるのは、到底理解できるところではありません。

<なぜ核燃料サイクルは失敗したのでしょうか>
―直接的には「高速増殖炉もんじゅ」の失敗が原因です。ではなぜ失敗したのかと言えば、高速増殖炉という技術自体が複雑すぎて、現代の人類の科学技術ではどうしようもできないことが判明したからです。高速増殖炉は欧州やアメリカでも建設されましたが、技術的な困難を伴うことが分かったため、現在は開発そのものから撤退しています。

<なぜ核燃料サイクルに拘るのでしょうか>
―失敗が明白な核燃料サイクルに、何兆円という税金を費やしてもなお、継続しようという国の意図は何なのでしょうか。ひとつは、「一度決まったことは破滅するまでやり続ける」という日本の硬直的な官僚制や政治風土があります。もうひとつは、核燃料サイクルの維持は、「将来日本が核武装をしようとしたときに役に立つ」と考えている人々がいるからです。日本は大量のプルトニウムを国内外に保有することから、その目的が真に平和目的なのかについて、疑問視する声もあります。あえていえば「核武装など一切考えていない」と表向きには主張して、その真意を糊塗(こと)したいがために、ことさら平和利用である核燃料サイクルの推進に拘っている、とみなすこともできます。